しあとりかる-Theatrical-’s blog

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13年 場所の記憶

今年も黙祷をした。

13年という時間を経たからこそ動き出せるものがある。

宮城県南三陸町の旧防災庁舎が、震災遺構として保存されることになった、と3月1日のニュースで報じられていた。

保存するのか解体するのか。遺族や住民の間で意見が分かれたことから、2015年に宮城県が震災発生から20年後の2031年まで県有化し、その間に南三陸町で保存か解体かの検討をすることとなった。そして、今年、町有化し、保存という最終的な結論が出た。自らもこの防災庁舎で被災した南三陸町の佐藤仁町長は1日の記者会見で次のように述べたという。

・被災した事実や歴史を確かに伝えていくには、町が維持・管理していくことが必要だ。保存していくことに尽きる。
・この問題をどうするかは、13年間ずっと心の真ん中にあった。町民からも受け入れられ、防災教育でも多くの方が訪れていて、『この場所に庁舎が無い』ということは想定できない。最終的には政治判断で、決着をつけるべきと考えた。

 

ここ数年「場所の記憶」とか「記憶の場所」というコトバを目にするようになった。

Wikipediaによれば、「記憶の場所」とは

歴史的出来事など「忘れがたい記憶」という無形の抽象的なものを具象的に証明する有形の現実的な場所を指し、フランスの歴史学者ピエール・ノラが著書『Les Lieux de Mémoire』の中で提唱した考え

なんだとか。さらにこんな記述もあった。

ユネスコOBなどで構成する国際的NGO組織のOurWorldHeritageが、震災遺構のような自然災害の爪痕も「記憶の場所」となりえるのではないかと示唆する。天災は防ぎようがないが、次に同じ事態が起こった時に被害を最小限に抑えるためには、災害の記憶を伝承することが重要で、「記憶の場所」として保存できれば防災教育に活用でき、そうした分野を世界遺産に取り込むことも検討してはとする。

自然災害はその事象そのものは、登録基準(クライテリア)ⅶの自然現象、ⅷの地形形成における進行中の地質学的過程などに該当する自然遺産として、破壊された人工物の残骸は文化遺産と見なせ、その双方の要素が伴う複合遺産の可能性もある。

また、自然災害伝承碑のような実質的な動産(可動文化財)、映像や証言集のような記録物との相互補完も求める。

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人為的な戦争遺跡にせよ、自然現象による災害遺産にせよ、復旧復興が進められる中で原初の状態を維持し真正性を確保しておけるのかや、目にすることで辛い記憶が蘇ることに対する「忘れる権利」があることも課題となる。

南三陸町は土地の嵩上げによって被災当時の光景は想起できなくなっている。しかし、保存のため手は入っているものの震災時からほぼ変わらない姿の旧防災庁舎を見る度に、あの時感じた、地球🌏のエネルギーの大きさとそれには到底太刀打ちできない人間の小ささというどうしようもない無力感を思い起こしてしまう。「「想定外」の高さの津波が来た」とはどういうことだったのかが言葉で説明するより雄弁で一目瞭然。人間の想像力の乏しさを思い知らされる一方で、だからこそ防災に対する意識を高く持ち続けることが大事だと説得力を持つもので。

しかし、大震災を知らない子どもたちはこの鉄骨だけになった防災庁舎を見てどう受け止めるのだろうか?どのようにあのときの出来事を伝承していくかが重要になってくるのだろう。「天災は忘れた頃にやってくる」のだから。

 

そんな13年目。今年の元旦にM7.6、最大震度7能登半島地震が発生し、スマホ📱から久々にあの嫌な警報が流れ、仙台でも大きな揺れを感じた。

現地の様子を見聞きするたびに、13年前の記憶がハッキリと蘇ってきて切ない。

 

偶然だろうが、今クール放映中のクドカン脚本のテレビドラマ「不適切にもほどがある」では、昭和から令和4年にタイムスリップした主人公が、自分と娘が阪神淡路大震災で亡くなっていたことを知るという設定。

クドカンは「あまちゃん」で東日本大震災を、「いだてん」で関東大震災を扱っていた。

宮城県出身の彼の震災の描き方には信頼できるものがある。さて今回のドラマの最終回はどうなるのか。

5年前の写真が出てきたのでここに貼っておくことにしよう。

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